Aston Martin Centenary Aston Martin

アストンマーティンCC100とDBR1

Aston Martin CC100 DBR1
Aston Martin CC100 Story

レーシング・アイコン —

レーシング・アイコン純粋なレーシングカーとして開発されたDBR1は、当時のロードカーとの関係はまったくありませんでした。通算5台のみが製作され、うち4台はアストンマーティン・ファクトリーチームが使用し、残り1台がプライベーターに売却されたDBR1は、DBR1/1、DBR1/2、DBR1/3、DBR1/4、DBR1/5の正式名称がつけられていました。当時のオーナー、デイビッド・ブラウン主導の下、テッド・カッティングがデザインしたDBR1は、レグ・パーネル/トニー・ブルックス組とともに1956年のルマン24時間レースでデビューを飾りました。

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ニュルブルクリンクとの蜜月 —

デビューの翌年、1957年に向けてエンジンのアップグレードを敢行したDBR1は、初のフルシーズン参戦に臨みました。同年ニュルブルクリンク1,000kmでは、トニー・ブルックス/ノエル・カニンガム-レイド組が駆るDBR1/2が見事優勝を遂げ、アストンマーティンと世界でもっとも過酷なサーキットとの蜜月の第一章が記されました。

1958年にはスターリング・モス卿/ジャック・ブラバム組、翌59年にはモス卿/ジャック・ファーハム組がルマンで2年連続優勝を達成。さらにキャロル・シェルビー/ロイ・サルヴァドーリ組のDBR1/2とモーリス・トランティニャン/ポール・フレール組のDBR1/4が1-2フィニッシュを記録しています。

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過去から未来へ —

その後、アストンマーティンはF1世界選手権に主戦場を求め、全5台のDBR1はプライベーターに売却され、1963年までに第一線から退くことになりました。うち4台は今も存在し、先進エンジニアリングと独自のデザインを融合させるアストンマーティンのレーシングスタイルの急先鋒として、同社の歴史を語るうえで絶対に欠かせない存在となっています。

Tそして今、先進エンジニアリングと独自デザインというアストンマーティンの長所は、現代のスピードスター、CC100に反映されています。50年以上も前にDBR1が提唱したピュアなデザインとピュアなスピリットの融合というコンセプトは、CC100とともに現代に蘇ります。スターリング・モス卿によってニュルブルクリンクで初公開されたCC100は、DBR1へのトリビュートであると同時に、アストンマーティンの未来の成功を予言するガイドライトでもあるのです。

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DBR1主要諸元 —

シャーシ: マルチ・チューブラー、スペースフレーム・デザイン
サスペンション: トーションバー&トレーリングアーム
全長: 4,026 mm
全幅: 1,630 mm
全高: 978 mm
ホイールベース: 2,290 mm
エンジン: アストンマーティン直列6気筒、2,493cc/2,922cc、FRレイアウト
トランスミッション: デイビッド・ブラウン設計、CG537 5速マニュアル
車両重量: 801 kg